やらない後悔よりやった後悔のほうが清々しい

こんにちは、たくです!
今回はやらないよりやった後悔の方が
清々しいというテーマでお話しします。
ちなみに今回は甘ったれた自分に
ならないように自戒の意味も込めて
書いていきます。
これは僕が高校生の頃、
やった後悔の方が、やらない後悔より
断然良いと思い始めるに至った
ストーリー形式のお話です。
当時の感情や思ったことを
赤裸々に書いています。
少々センシティブな内容を含むので
心臓の弱い方はお気をつけください。
以下が本編になります。
高校生2年生の春、
おばあちゃんが亡くなった。
その知らせを受け取った瞬間、
何もかもが止まったような気がした。
しばらくの間は実感が湧かなかった。
元気だったおばあちゃんが
この世にいないなんて、
信じられなかった。
でも、冷静になって考えると、
あの時の後悔が今も心に残っている。
当時、おばあちゃんはもう高齢だったが、
持病などはなく元気にしていた。
会ったときはいつも優しくしてくれ、
何かと気にかけてくれた。
だから、元気なうちに「元気?」と
電話をかけたら良かった。
もっと会いに行けばよかった。
家に行った時にもっと
話をしておけば良かった。
その思いが、ずっと心の中で渦巻いていた。
おばあちゃんが亡くなった後、
ふとした瞬間にあの時の
自分の無力さを感じる。
会うたびに、次の機会があると信じていた。
だからこそ、
おばあちゃんともっと
会話しておけばよかった
と深く後悔した。
後悔というものは、
気づいたときには遅い。
時間は戻らない。
おばあちゃんの声を、顔を、
もっと見たかったと切実に思う。
でも、もうそれは叶わない。
そうやって後悔している自分に
気づいたとき、ふと思った。
もしあの時、迷わず行動していれば
どうだっただろうか。
おばあちゃんとの時間を
もっと大切にしていたら、今、
こんな後悔はなかったのではないか。
もっとたくさんお話をして
素直に気持ちを伝え、
もっといろいろなこと話していたら、
今はもっと心が軽かっただろう。
そう思うと、その行動をしなかった
自分に余計に苛立ちを感じた。
しかし、その後悔の中で
一つ大切なことを学んだ。
それは、行動することの大切さだった。
実際、人は頭ではわかっていても
いざ、行動に移そうとすると
ためらってしまうことが多いと思う。
挑戦するということは
失敗するかもしれない、
恥をかくかもしれない。
といった不安や恐怖を伴うことが多い。
自分が失敗したらどうしよう。
周りにどう思われるだろう。
結果が出なかったらどうしよう。
そんなことを考え出すと、
どうしても一歩踏み出すのが怖くなる。
僕も、数え切れないほど、
そのような恐怖に
押しつぶされそうになりながら、
何度も挑戦を避けてきた。
けれど、行動しなかったときほど
深く後悔することがたくさんあった。
思い返せば、僕はおばあちゃんに対しても、
もっと積極的にコミュニケーションを
取るべきだった。
おばあちゃんが元気なうちに
もっと自分の気持ちを伝え、
もっとおばあちゃんの話を
聞くべきだった。
あの時、「今度は必ず話そう」
「次の機会に」と思っていたことが、
結局は後悔を生んだ。
もし、あの時に一度でも行動していれば、
今、後悔し続けることは
なかっただろうと感じる。
僕は挑戦しないことの恐ろしさは、
失敗そのものではないと思う。
失敗することは成長の一部であり、
何かを得るためのプロセスに過ぎない。
挑戦しないことで生まれる後悔こそが、
人生において最も恐ろしいものだと
僕は感じた。
行動することで得られるもの
後悔の気持ちは、行動しなかった
自分から生まれる。
それに対して、行動しさえすれば
たとえ失敗だったとしても、
必ず何か新しい気づきを得られる。
そして、その学びが次へのステップとなり、
次第に自分を成長させてくれる。
例えば、何かに挑戦して
失敗したとしても、
その経験から
「次はどうすればうまくいくか」
を学ぶことができる。
後悔から学び、
次に進む勇気を持つこと。
そして、しっかりと行動に移すこと。
こうすることで多少は
行動しなかった過去の自分の
後悔を和らげてくれる。
そんな風に思い至った。
そして、行動しないことへの後悔を
繰り返さないように、
今、目の前のことを素直に受け入れ、
行動してみる。
少しずつでも自分を
変えていってみる。
そしたら少なくともやらなかった後悔は
少なくすることができるはず。
おばあちゃんとの関係をもっと
深められなかったこと、
もっと話をしておけばよかった
という後悔は、
今になっても消えないが、
二度とこのような後悔を生まないために
迷ったら行動しようと決意した。
